NPO法人純正律研究会への入会のご案内。
玉木宏樹(代表) 作曲家・ヴァイオリニスト

純正律入門コラム

この曲どちらの方が心地よく感じますか? A or B

A:平均律です。

B:純正律です。(純正律ってナニ?という方は以下をお読み下さい。)

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●21世紀は平均律から純正律へ●

         純正律音楽研究会代表/作曲家・ヴァイオリニスト 玉木宏樹


 最近、ポップス界でもクラシック界でもイギリスものが大はやりである。ポップ スではエンヤとかアディエマスに特徴的な、透明感あふれるシンプルなメロディと ハーモニー。またクラシックでも、ヒリヤード・アンサンブルは、ノルウェーの サックス奏者、ヤン・ガルバレクとの共演『オフィチウム』が全世界で300万枚出 たといううわさがある。ヒリヤードのコーラスでうたう曲は、16世紀のドイツの尼 僧ビンゲンの作品で、その上に現代ジャズのアドリブが乗るという、意表をつくサ ウンドである。

 この、エンヤをはじめとするケルト系ポップス、そしてヒリヤード・アンサンブ ルやキングズ・シンガーズ等のクラシック・コーラスがくりひろげる天国的な透明 感のあるハーモニーの世界、これが純正律(純正調ともいう)という、古代から伝 えられている最もよくハモる調律の世界なのである。この分野の響きは、ヒーリン グ・ミュージックのコーナーでもよく取り上げられている。
 
 純正律などというと、むずかしそうだが、そんなことはない。単純によくハモる ことであって、ウィーン少年合唱団の天使の歌声を思い出してみればよく分かる。 彼らの音程の訓練は絶対にピアノではやらない。今のピアノやオルガン、ギター、 シンセサイザー等、音程を固定させる楽器はオクターヴを単純に12に平均分割した 調律であり、平均律というが、この本来の意味は、平均的に音を狂わせてあるとい
う意味である。
 
 実は、バッハもモーツァルトもベートーベンも、そして、19世紀のロマン派前 期の作曲家たちは、いずれも平均律では作曲していない。12個の鍵盤だけで純正律 の調律をすると使えなくなる和音が多すぎるため、古代から純正律に近づけるため にいろいろな調律の工夫がなされた。
 
 バッハは平均律を広めるために「平均律クラヴィーア曲集」を作曲したと日本語 では記しているが、ドイツ語でも英語でも、どこにも「平均律」という言葉はな い。ただ「Well tempered」と書かれているだけである。この Well tempered とはいったい何だったのかというのが歴史的問題で、ベルクマイスター第IIIの調律 だといわれている。バッハの時代に「平均律」の調律法は存在しなかったのだか ら、「平均律クラヴィーア曲集」とは、恐れ入った誤訳である。
 
 バッハは対位法に適合したベルクマイスター調律だったが、後のモーツァルトに 影響を与えたヘンデルはモノフォニーに適した中全音律(ミーントーン)を愛用し た。モーツァルト時代に平均律の調律法が確立したが、モーツァルトは大変平均律 をきらった。また、ショパンもミーントーンで作曲し、転調の範囲が限られるた め、一晩のコンサートでステージに3〜4台のピアノを置いたと伝えられている。と ころで最近、モンゴルやトゥバ地方の一人二重唱、ホーメイという唱法が脚光を浴 びているが、これこそ、人間の声帯が自然倍音で成り立っていることの証明である。 この自然倍音を下から並べ替えたのが純正律である。ピアノの「ミ」は純正な 「ミ」より半音の100分の14高いのだが、この違いは誰にでも分かるほどの差であ り、とても汚い。音程を純正にとれるコーラスやアンサンブルはぜひ純正律でハモ る訓練をしてほしい。
 純正律こそ「音の自然食」である。私のCDで思わぬヒーリング効果があったと報告 がたくさん届いている。純粋なドミソは体にも良いのである。

                〈『AVヴィレッジ』1999年9月号より抜粋〉

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●純正律とは?●
                             黒木朋興

 自然倍音とは何でしょう? 例えば、ドの音が鳴る弦を弾くとすると、鳴るのは ドの音1つではなく、基のドの周波数をn倍した音も同時に響きます。これらの音の ことを倍音といいます。すなわち基音がドの時、2倍音はその1オクターヴ上のド、 3倍音はその上のソ、4倍音は2オクターヴ上のド、5倍音はその上のミ、6倍音はそ のすぐ上のソというように次々に上に音が積み重なっていくのです。そして3倍音のソの音、つまり5度の音に目を付け、オクターヴと5度の音を重ねて作った音律が ピタゴラス律です。この音階は、単旋のメロディーを奏でるととても美しいのです が、3度の音が高すぎて和声を作るのには向きません。またオクターヴ、ソ=5度の 音と5倍音であるミ=3度の音を組み合わせてドレミファソラシドを作ったのが、日本語で純正律と呼ばれる音階です。これの特徴はとにかくドミソの和音が美しいことが挙げられます。ただし主要3和音以外の3和音の響きがとても汚く使いものになりません。また、何よりも西洋音楽の最大の特徴である転調をしようものならば、不協和音だらけになってしまうという欠点があります。
 
 こうしてテンペラメント(=整律)が開発されます。純正律の音を少しずつテンパー[temper=整える]して、つまり少しずつずらすことによって、耐え難い不協和音をなるべく減らし使える和音を増やそうとしたのです。例えばピエトロ・アーロンの中全音律や、ヴェルグマイスター、キルンベルガー、ヤング、ラモーの整律などが有名です。ただしあくまでも耳で聞いて音を調整するのですから、基本的には耳で聞いて心地よい和音が尊重されていました。
 
 ところが最終的に西洋が到達した12等分平均律は、1オクターヴを平均に12に分けるという整律ですが、耳で聞いた和音の美しさより、正確に平均に分けるために算出された2の12乗根という数値を優先させます。その結果、すべての和音が使えるようになった代わりに、純正律の美しい響きは失われ、オクターヴ以外のすべての和音が濁ってしまいます。極言すれば平均律は微妙な不協和音だらけの整律と言えましょう。なお大バッハが使っていたのはこの平均律ではありません。長い間バッハは平均律を使っていたという誤った見解が支持されてきたので、18世紀には 平均律が普及していたと思われてきましたが、現在では早くても19世紀に入ってからではないかと言われています。おそらく19世紀末という、絶対音感が設定され、正確に音を測定する機器ができ、平均律に合わされたピアノという楽器が大量生産され世に広まった時代に、この平均律の専制は決定的になったものと思われます。
 
 現在では平均律が当たり前の音階として扱われ、古典整律がそれでも守ってきた純正律の響きは無視されています。正確に言うと実は上手い合唱団や弦楽団はきちんとした響きを出せるのですが、日本ではきれいにハモるための教育が十分でないために、和音感覚ではひけをとってしまいます。

 ドビュッシーやシェーンベルグなどの音楽やジャズなども平均律を前提にしていますから、平均律がまったくだめだと言うつもりはありませんし、やはりプラスの面もあったのです。それでも平均律の専横ぶりは目に余るものがあると僕達は考えています。平均律でやる必然性のない音楽までが、何の疑いもなく平均律で演奏されるのははっきり言って文化の貧困以外の何物でもありません。最近では古楽の領
域を中心にようやくきれいな和音に目を向けようという動きが徐々に出てきましたが、僕達もその一派です。
 
 ただし僕達の特徴は、古楽ではなく、あくまでも現代の音楽を提供していこうと いうことです。純正律の響きを十分に活かした音楽をやるためには、1オクターヴ を更に細かく分けたスーパーテンペラメントを開発する必要があります。昔におい ても1オクターヴに50いくつも鍵盤がある楽器が夢想されたことはあり、現にヘル ムホルツなどは1オクターヴを32に分けた楽器を作ってはいますが、おそらく人の 指が10本だからでしょう、弾きこなすなど不可能でありました。しかし、現在では コンピューターの発展によりスーパーテンペラメント実用の可能性が見え始めてきたのです。
 
 難解な音楽をごり押しするつもりはありません。心地よい音環境を提供したいのです。


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